家族の介護記録2.家族が危篤状態と聞いたときの心理変化とは?




祖父の介護と看取りを経験しました、元ICU看護師のはな(@hana8787hanae)です。

 

身近な人が亡くなるのは、これで2回目。

1回目は昨年、父方の祖母が亡くなったときでした。

5年くらい病院に入院していて、食事を取れなくなってから点滴で命を繋いでいましたが、「もう危ない」と言われてから1ヶ月後くらいに亡くなりました。

父方の実家は車で1時間以上離れたところにあり、その祖母とも年に2〜3回会うといった感じでしたが、いつも病院にいた祖母がいなくなるのは寂しかったです。

一方、先日亡くなった母方の祖父は、実家から車で10分ほどのところに住んでいた身近な存在。

子供の頃から何度も遊びに連れて行ってもらい、高校の入学式にも同席してもらいました。

私が地元を離れてから認知症が進み、ここ4年ほどは高齢者施設で生活をしていて3〜4ヶ月に1度会うくらいだったとはいえ、いざいなくなるのは寂しいです。

 

「周りの人はいつでも会える存在」

そう思っていましたが、それが叶わなくなるとなると悲しいなと思います。

健康には自信をもっており「100まで生きるぞ!」が口癖だった祖父。

祖父の状態が急激に悪化したと知ってから葬式を終えるまで、自分の心の中でさまざまな心情の変化がありました。

こういうことを書く機会もそうないので、一般的な情報を調べながら心情の変化についてまとめました。

調べる中でヒットした、心に響く情報、反対にこれは間違ってるのでは?と思う情報も載せました。

「死ぬこと」について考えるのって、暗いし、辛いし、悲しいので、あまり話したくないと思います。

私も表立ってブログを書くことを少し躊躇していますが、普段考えないからこそこういうときに思いを馳せるのが大切なのではないかと思うんです。

普段「身近な人の死」について考える機会がない方にこそ読んでいただきたい記事です。

死を目の前にする人・家族の心理変化

まずは、看護師ならほぼ全員が知っていると思う内容。

死ぬことが間近に迫っているというとき、まずご本人は「キューブラロスの死の受容段階」である5つのプロセスを踏むと言われています。

  1. 否認:「そんなの嫌だ」と否定する
  2. 怒り:「なぜ自分が死ななければならないのか?」と怒りの感情が出る
  3. 取引:「神様、何でもしますからどうか嘘だと言ってください」と取引しようとする
  4. 抑うつ:事実を理解してうつ状態になる
  5. 受容:受け入れる

家族は、このようなご本人の心理変化を共有すると言われています。

参考:「大切な人の死」によって生じる心の反応とは

ただ、当然その人の状況によって心理状態は変化します。

5つのプロセスをその通り受け入れることもあれば、行ったり来たりして徐々に受容するケースもあるようです。

家族の危篤状態を知らされた私の心理変化

今回の私の場合、危篤状態だったのは94歳の祖父。

自分の親や配偶者ほど身近な存在の死ではありませんでしたし、祖父の年齢が年齢なので「その時が来たんだな」という思いもありました。

そのため、キューブラロスの心理過程ほどの劇的な心理変化はありませんでした。

とはいえ、それでもこのような気持ちを抱きました。

『否認』

1ヶ月前はつたい歩きできていたじいちゃんがいよいよ最期なんて信じられないし、悲しい。

私は昨日までなんの心配もなく生きていたのに、家族がこんな状況になっていてもたってもいられない。

すぐに死んでしまったらどうしよう。

息をしているうちにあっておかなければ。

『軽度抑うつ』

ただ悲しい。

『受容』

他の家族(祖母、母、叔母、いとこなど)と一緒に祖父の周りに集い、お別れを言うことで悲しみを受け入れる。

もう寿命なんだと思える。

ほぼ、否認と受容の過程しかありませんでしたが、振り返るとなんとなくですが変化はしていました。

1番悲しかったのは、1人で実家に帰るときだった

知らせを聞いてから祖父がなくなるまで、約2週間。

その中で1番悲しかったのはどこかと考えると、1人で実家に帰る途中だったかなと思います。

状況が分からないこと、突然祖父の体調の悪化を知らされたことで、とてつもない悲しみに襲われました。

でも、その悲しみは、他の家族と共有することや時間の経過と共に薄れていったように思います。

他の家族も、側から見ていると同じような感じで。

知らせを受けた時は悲しんでいましたが、次第に状況を受け入れていったように見えました。

たった1人、

91歳の祖母を除いては…

配偶者を失う悲しみは半端ないと思う

祖父も祖母も90代。

2人が結婚した昭和20年代は、結婚する年齢も早かったと想像できるので、おそらく70年くらいは2人連れ添っていたと思います。

70年間という月日の長さは、30代の私には全く想像できません。

そして、それを失う辛さも知ることができません。

辛いだろうな…

側にいて声をかけることしかできませんでした。

 

でも、そんな祖母の様子を見ていると、悲しみは深いものの少しうらやましい感情もあるんですよね。

それだけ配偶者がいなくなるのを悲しめるということは、2人の絆がそれほど深かったということなので。

仲の悪い家族だったら、離れ離れになることにこんな悲しさを抱かないはずです。

家族を亡くしたあとの心理変化

祖父が亡くなり、葬式が終わり、実家から生活拠点へ戻りました。

私はそのまま仕事の毎日に戻りましたが、祖父の1番近くにいた祖母が心配です。

さきほどの「キューブラロスの死の受容過程」を調べていると、「喪の作業」という情報が出て来ました。

喪の作業とは、親しい人を亡くしたときに、残された人がたどる心理過程のことです。

具体的な心理プロセスは、以下の通りです。

  1. 無感覚・情緒危機の段階:
    悲しみを現実として受け止めることができない(死後1週間)
  2. 思慕(しぼ)と探求・怒りと否認の段階:
    故人のことを思い返すことで思慕の感情(思い慕うこと。恋しく思うこと)が出てくる。
    一方、故人がまだ生きているように振舞ったり、故人がなぜ死んでしまったのか怒りの感情を抱くこともある。
  3.  断念・絶望の段階:
    故人が亡くなったことが現実として受け入れられる時期。故人がいることを前提に作られていた生活環境や人間関係が一変し、絶望し無気力になる。
  4. 離脱・再建の段階:
    悲しみなどの感情の変化がおだやかになっていき、喪失体験についても肯定的な見方に変化していく。

参考:親を亡くした悲しみ、どう乗り越えればいい?

おそらく、祖母はこの心理過程+年齢なりの認知症で複雑な心の動きがあるのだと思います。

大切な人を亡くしたときの感情の変化を総称して「グリーフ(悲嘆)」といいます。

このグリーフの過程で大切なことについて、さきほど紹介した記事にはこんなふうに書かれていました。

このような体験をした際に最も重要なことは、きちんと悲しむことです。

きちんと悲しむというのは、何も早くその相手の死を受け入れようとしたり、無理に涙を流して悲しんだりということではありません。悲しみや後悔や怒りを感じて、それを誰かに聞いてもらったりそばにいてもらったり、時には眠れなくなったり体調を崩しながらも毎日を過ごしていくことです。

悲しんでいる人が目の前にいたら、気軽な気持ちで「元気出してよ!」と言ってしまいそうになります。

実際、ポジティブな親戚は「もうじいちゃんは寿命だったんだから。こんな長生きできて大往生!悲しんでばかりいないで、これから楽しみましょうね」と祖母に声をかけていました。

しかし、悲しみの程度は人それぞれです。

悲しい思いを共有してあげること、悲しみを吐き出せる環境を作ってあげることが大切なのだと思います。

実家に帰ったら、祖母の話を聞きに行きます。

家族を亡くすことについて、時に誤った情報もあるので注意

今回この記事を書くにあたり「死の受容」についていろいろな記事を読みました。

紹介したように、腑に落ちる記事もある中で、どうも理解できない内容もあったので記載しておきます。

親の死なんてそう簡単に受け入れられることではありません。初めは実感さえ湧いてこないでしょう。

そんなときは友達や同僚といった仲間達と無理やりにでもワイワイと楽しんだり、今まで以上に仕事に打ち込んだりしてできるだけ多くの時間を過ごしましょう。親の死などといった辛いことは時間が解決してくれるものです。

悲しい死を時間が解決してくれるのは一理あるが、楽しむことだけにフォーカスしていては悲しみを先延ばしにするだけだと思います。

無理やり目の前のことを楽しむのも時には必要かもしれないが、まずは悲しみを浄化させることが先です。

どの記事か、リンクは書きませんが、執筆元がわからないサイトは信憑性が薄いですね、、、

人の死などナイーブな内容は特に、医師や看護師、臨床心理士など、専門的な記事を参考にすべきです。

家族の死に目に会えないのはダメなことなのか?

実は、私たち家族は祖父の呼吸が止まった瞬間を見ていないんです。

何度も「もう最後かも」という時間があって、その度にお別れの言葉を言ったり歌を歌ったりしました。

なので、亡くなる日の夜は「血圧もなんとか測れたし、看護師さんも見に来てくれるし今夜は休んでいいよね」と家族で言って、祖父の隣で寝ていました。

実を言うと、連日の睡眠不足で家族みんな疲れていたのもあります。

その後、夜中の3時ごろ回診に来た看護師さんに、呼吸が止まっているところを発見されました(施設なので心電図はつけていません)。

みんな驚いていたけど「いっぱいお別れを言ったからいいよね」という考えでまとまりました。

うちの母が「息が止まるところなんて怖くて見られない」と言っていたので、祖父なりに空気を読んでくれたのかもしれません(余談ですが「怖い」というのは、死が身近にない人ならではの感情ですよね)。

 

死に目に会うことについて、心無いサイトでは「親の死に目に会えないのはあまりよいことではない。子は親の死を見届けて成長していくべきだ」と述べてありました。

でもそうではないと思うんです。

「死に目」だけを意識するのではなく、亡くなった人とのそれまでの関わりをトータルに考えてよいのです。

私たち家族は自ら「この看取りでよかったんだ」と自覚しあっていましたが、こちらの大津先生のツイートを見て安心しました。

家族を亡くした人に読んでほしい記事

そのほかにも記事を検索していたら「母親の死」を経験したという30代らしき男性のブログがヒットしました。

一番辛いのは、2日目と3日目

母ちゃんが死んだ翌日、段々と実感が湧いてきて、

もう二度と会話することができない、会うことができない

と思うと、体中から涙を押し出すように出てくる。

(中略)

一緒に過ごした場所がとても辛い

涙は枯れることがない

引用:母ちゃんが死んだ。今までの人生で最も辛い1週間。

なかなか家族を亡くした人のそのままの感情を綴っているブログはないですが、この方は当時の思いをかなり率直に述べてらっしゃいます。

親や配偶者など大切な家族を亡くした方が読むと、かなり共感できることがあり気持ちが楽になると思います。

「書いてくれてありがとう」という思いさえ出てくる記事です。

家族を亡くした悲しさは、隠さずに表出したほうがよい

この記事では、祖父の状態悪化を知ってから亡くなるまで、一般的な心理プロセスと自分自身の心の移り変わり、家族の死について参考になったサイトについて紹介しました。

一般的に、身近な人が亡くなると、ショックや受け入れがたい感情を持つ一方で、時間が経つにつれて受け入れができていくと言われています。

しかし、それぞれの性格や関係性によって心理プロセスはさまざまです。

そんな中でも1番大切なことは「悲しいときは悲しみ抜いてよいこと、身近な人に悲しめる環境を用意してあげること」だと学びました。

調べていて勉強になることも多く、この記事を書いてよかったです。

私はもう悲しみ抜いたので、また仕事を頑張ります!



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hanablo

複業フリーランスの元看護師。世界をハーモナイズすべく、オンラインのセールスやコミュニティーマネージャーなどの仕事を通して人と人との化学反応を生んでいる。得意なことは戦略的コミュニケーション&スキルのかけ算。 看護師を27歳で辞め、2015年から2年間は海外生活(オーストラリア、フィリピン、フィジー)を楽しむ。現在フリーランス7年目。趣味は音楽、旅です!

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