実家に戻り、4歳と3歳にいつも遊ばれている、はなです😅
子供のパワーにいつも圧倒されています。
世の中の母親ってすごいですね。
今日、テーブルの上にあった本をチラ見していました。
その本のタイトルは、「本を出したい人への教科書」
父が買ってきたようです。
父にそんな気があるのかはわかりませんが、私もブロガーとして気になったのでちょっとだけ読んでみました。
そこで目に入った一説は、
「一流の作家は、どこかで圧倒的な体験をしている」ということです。
この間、セブで出会ったRさんの話を聞きました。
Rさんが現在頑張れる原点には、まだ若かった旦那さんを病気で亡くした経験があったとのこと。
彼女は、自分の旦那さんと同じ経験をする人を少しでも減らしたい、
病気になっても人生を謳歌できる社会を作りたいと、今後は活動していきたいと話されていました。
私は今まで、「一流の体験」とはそんな一握りの人しか経験していないような悲しい体験が多いのかと思っていました。
でも、自分の30年の人生を振り返ってみると、ターニングポイントとなった点はありました。
3つあげてと言われたらあげることができます。
私の体験は、Rさんの体験に比べたら特別感があるものではありません。
だからこそ、同じような体験をしたことがある方もいるのではないでしょうか?
今日はちょっと10年数前にタイムスリップして私のターニングポイントを振り返ってみます。
もくじ
勉強しかしていなかった小中学時代
私の地元は鹿児島県。
真面目すぎる両親のもとで育ちました。
親戚が優秀だったのもあり小学生のころから塾通いをしていました。
そして、たまたま受検した中学校に運良く合格し、そこに通いました。
小学生のころから親からの
「勉強だけしていればいい、
勉強していい大学に入って、
いい人と結婚するのが幸せになるルートである」
という考えのもとで勉強をしていました。(正確には、させられていた)
でも部活も中途半端だったので勉強にもなんとなく本腰を入れることができず、
行きたかった高校はD判定。
当時の学力で余裕を持って合格が狙えそうな高校に進学しました。
そこそこ成績がよかった高校1〜2年生
合格ラインギリギリの高校に進学しなかったというのもあり、クラスでは割と成績がいい方でした。
周りのクラスメイトが部活や放課後の楽しみを謳歌する中、やっぱり勉強をしていました。
「いい大学に行けばいい、そのためには勉強さえしていればいい」という言葉を信じていました。
大学の推薦入試を受けることを決意
高校3年の秋ごろ。
進学校に通っている高校生がそろそろ志望校を決める時期です。
私は模試の成績は大したことなかったのですが学校の通知表だけはよかったので、国立大学の推薦入試を受けてみることにしました。
指定校推薦と違い、小論文と面接でしっかり試験が行われる推薦入試。
自分の考えをしっかり述べることができる生徒でないと合格は厳しそうというのはなんとなく分かっていました。
高校生の私は、大人しくて教室のすみっこで仲がいい友人としか交流していないような生徒。
小論文と面接は大の苦手だったのですが、チャンスが一回増えるならいいかなと思いチャレンジしました。
クラスで一番苦手だった女子、Aさんの思いを始めてちゃんと聞いた
校内で看護系の大学の推薦入試を受けるのは私を含め3人。
そのうちのAさんに私は大きな影響を受けることになりました。
私は鹿児島市出身。
生徒数1000人の大規模な小学校、受験を経て進学した中学校出身、
そして、高校のクラスではまあまあいい成績。
正直、自信を持っていました。
それに対し、Aさんは鹿児島のとある離島(多分週3回くらいしか船が通っていない)からわざわざ鹿児島市内に下宿して高校に通っていた、いわゆる田舎で育った子でした。
彼女とは名簿順が近く、グループ学習で一緒になることが多かったのですが、
私と違ってクラスの中心で明るくてヘラヘラしているタイプだったのでなんとなく苦手意識を持っていました。
学校の成績は私の方がいいし、
私のほうがいい面接ができるんじゃないか、そう思っていました。
Aさんは個性がある、それに対して私は…
面接の練習は、3人一緒に行われました。
志望動機…これはもともと考えていたことを覚えればなんとなく答えられました。
問題は次の質問からです。
高校時代に頑張ったことはなんですか?
あなたの長所はなんですか?
尊敬している人はだれですか?
私は、これらの質問にありきたりな文章でしか答えることができませんでした。
どこの高校生でも話せるような、まるで教科書をまるごと読んでいるような文章。
ちょっと突っ込んだ質問をされると、答えることが思いつかずに黙り込んでしまったこともしばしば。
同級生の横で自分の理想の発言ができず、とても惨めな思いをしたことを覚えています。
それに対しAさんは、自分の経験を語りそれをもとに質問に答えることができていました。
何より、勉強だけでなく、部活や生徒会、地域の行事などで培われた責任感ややる気に満ち溢れた回答をしていました。
彼女の発言には、私にはない「圧倒的な個性」を感じたのです。
その時、自分が今まで親に言われたことしかしてこなかったんだということに気づきました。
「机の上でやる勉強以上に大切なことが世の中にはあるんだ。
高校を卒業したら、いろんなところに行ってそれをやってみよう」
Aさんの面接の他にもそのときに指導してくださった先生の影響もあり、卒業後はいろんなことにチャレンジすることを決意しました。
結局、行きたかった大学はすべて不合格で看護学校へ
どこにでもいるような高校生だった私は、面接で自分の魅力を伝えることができず、不合格。
センター試験も大失敗し行きたかった大学に合格することはできなかったので、合格していた看護学校のうち、一番よさそうな学校に進学しました。
看護学校時代からいろんな集まりに顔を出すようになった
学校は実家から頑張れば通える距離だったのですが、親に無理を言って寮生活をさせてもらいました。
その決断は大正解。
看護学校に入ってから、学校の係や学校外でのボランティア活動に精を出すようになり、そこから人見知りも改善したような気がします。
看護学校時代以降に出会った友人は、私はすごくアクティブな人だと思っているかもしれないけど、
そんな自分になれたのは、高校時代のAさんとの面接練習で自分より広い世界で生きている人がいるのを知ったからです。
そして、面接で何も言えなかった私を先生が応援してくれたからです。
Aさん、先生、ありがとう☺️✨
そんなアクティブさと大学受験に失敗した悔しさを持ち合わせていた私は、大学編入試験でもともと行きたかった大学に合格して、ちゃんと卒業しました!
大学行けてよかったな。
まとめ:目の前の出来事を今後に活かせるかどうかは自分次第
(写真は、私の出身高校の制服を着たリカちゃん人形)
冒頭で述べた「圧倒的な体験」とは程遠いかもしれませんが、大学受験の失敗を通して私の人生はちょっと変わりました。
それには、Aさんとの面接練習だけでなく、そのとき関わっていた先生の影響や受験に失敗した悔しさもありますが。
もし、あのとき問題なく推薦入試に合格していたら、
センター試験で運良く成功して一発で志望校に合格していたら、
今の自分はないと思っています。
当時は考える余裕はなかったけど、振り返ればいい経験でした。
挑戦してみることや、失敗してもそれを次に生かそうとする気力って大切なんだなとこの文章を書きながら思いました。
ちなみに2回目のターニングポイントは27歳のときです。
PS.すごくかっこいい文章を書いているつもりだけど、
実は今日も妹にほとんど家事をやってもらったダメ姉です。。。
何事も周りのせいにせずに自分と向き合える大人になりたいです。
hanablo
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